日曜日, 3月 26, 2006

ネット上での独学

ネットで検索というものに初めて触れたとき、私は「こりゃ自宅に図書館が直結されたようなものだな。独学するには最高。」と思ったのを覚えている。その後、検索エンジンにインデックスされている情報の量は増え続け、便利な周辺機能も充実してきた。

私はシステムやらプログラミングの知識のほとんどが独学なので、ネットの多大な恩恵にあずかったほうだと思う。最近はeラーニングなども盛んだが、自分の興味の方向がどの学問にフィットするのか分からないような場合は、ネットでの調べもの=独学、という感じになるので、自分なりの独学の方法論みたいなものを身に付けていると知識の蓄積スピードに差が出るように思う。

一方で、全く知らない事柄について独学すると、「全く見当はずれの理解をしたまま進んでしまう」という怖さがつきまとう。幸いネット上では情報の量自体が多いので、周辺知識について勉強を進めていけば、いつかはその間違いに気付くことはできるが、それでは人から教わるのに比べて時間的に大きく回り道をしてしまうことになる。

そうなると、検索についても単なる「検索エンジンの使い方」ではない、情報の集め方・体系だった検証の仕方みたいな方面のリテラシーが重要となってくるのだが、私もそういうことは体系だって考えているわけではないし、世の人々はどうしているのだろう?と不思議に思う。 なまじ検索周辺のテクノロジーだけは進化しちゃっているものだから、「間違った情報でも活字になっていると正しく見えてしまう」に似たこと(というか拡大版)が起きやすくなっているのではなかろうか。

と、そんなことを思ったのは、些細なことではあるが、「ふー、あぶない」という経験をさきほどしたから。

【コトの顛末】



  1. Mixiで「キリ番通知機能」というものがあるのを知った。
  2. 「へー、こういう機能があるから皆さん1000人目は○×さんでした」とかできるんだ」と感心。
  3. 私はキリ番には全く興味がないので、キリ番を知りたいという欲求は世界で普遍的なものなのか知りたくなる。
  4. 「キリ番」に該当する英語は何だろう?と思い、Googleの翻訳に「キリ番」をかけてみる。
  5. 俗語っぽいので該当なしと思いきや、「Paulownia turn 」と表示される。
  6. 「おお!キリのいい数字を祝うという文化が欧米では昔からあるのか!Paulowniaって見たことのない単語だけど、固有名詞っぽい単語だから、語源は人の名前か宗教行事とかなのかな?Paulownia が人の名前だとしたら、「Paulowniaさんがターンした」ということだけど、何か象徴的事件が昔あって、それが語り草になっているのだろうか?」とちょっとエキサイトする。
  7. 英語版Wikipediaで「Paulownia turn」を検索してみる。→ 該当なし
  8. 英語版Wikipediaで「Paulownia」を検索してみると、どうも植物のようだ。
  9. なんかおかしいと思い、再びGoogle検索で Paulownia を和訳する。
  10. 「桐」だそうです。「桐」+「番」 だからPaulownia turn。。。。。そうですかそうですか。

危うく間違ったトリビアの知識を自主生産してしまうところでした。