木曜日, 1月 26, 2006

タグとフォークソノミーは新しい?

いつも読んでいるサイボウズの方のBlogの最近のタグに関するエントリーが興味深い。http://blog.cybozu.co.jp/tomoy/cat5344875/index.html

タグ化はWeb2.0やWindows Vistaのコンテキストの中で語られることが多くなってきたが、うちの会社ではかなり以前からタグによる分類を利用している。といっても、単にLotus Notesのドキュメント・アーカイブにそのような機能があるからそれを利用しているというだけの話なのだが。

使用感としては、ファイルサーバーにファイルを置いておくよりも再利用時の検索が抜群に行いやすいため、便利。その結果、私はほとんどファイルサーバーに文書を置いておくということはしなくて済んでいる。

ファイルをフォルダに入れておくというのは、ECサイトのナビゲーションで言うと一つの商品が一つのディレクトリパスにしか属せない、という感覚に近いと思う。ディレクトリを辿っていくというナビゲーションは商品とディレクトリパスの対応関係が1対1である限り、検索対象が一定以上に増えるとユーザビリティ的に破綻するが、商品とディレクトリパスを1対Nにできるとその限界への到達をかなり先延ばしすることができる(楽天などのモール型ECで、ここ1、2年でリニューアルされた場合ものについては、ディレクトリの設計が1対Nに対応していることが多くなってきている)。タグによる分類を利用している時の感覚は「一つのファイルを複数のフォルダに入れておける」、という感覚に近い。

しかし、検索対象が莫大になり、かつタグ付けを行う人が複数になってくると、タグには下記の問題が発生する。

  • 既にバッチリ合致するタグがあるのに、人によって違うワーディングでタグを新設してつけてしまう(表記のぶれ)
  • その結果、最大公約数的なタグがどれかを見極められないと、情報の取りこぼしが発生する
  • あるタグがカバーするドキュメントが増えすぎた場合、サブカテゴリを表すタグを加える作業を誰かがきちんと行わないと、結局検索結果にノイズが増えてしまう

ということで、私の感覚からすると、「タグによる分類」は便利とは言っても「1対N対応のディレクトリ」との持つ限界を超えることはできず、「ファイルサーバーにバラバラファイルが置かれていて全く探せない」に比べればマシといった感じで評価できるにすぎない。

キーワード検索はこういった事前の分類・整理が一切不要なので、まさに夢のソリューションだったわけだが、今の世の中ではキーワード検索を知った上で次にタグが来ているのはどういうことなのだろうか。

「やっぱ機械的処理は限界があるから、人が分類したものが分かりやすいよね」→「ポータルの運営者がそんなのやってたら大変だから、利用者の草の根パワーを活用しよう」→これがフォークソノミーってことなのだろうか?でも、たとえば、Yahoo検索でサーファーを一般から大量に公募して、「フォークソノミー・サイト検索」を実現したら良いクオリティの検索になるかというと、あんまりそんな気がしないばかりか前時代的な取り組みに聞こえてしまう。まず懸念されるのは情報量のカバレージだから、逆に言うとフォークソノミーが適用可能なのは、おのずと情報量が限定される分野ということになろうか(しかし、Flickrにはこれは当てはまらないな・・・、はて)

結局、フォークソノミーはタグ付けに参加する人のリテラシーの高さと、参加の度合いに関しても高いものが前提になりそうな気がする(例えるなら感覚的にはLinuxの開発に参加するプログラマーみたいな)。となると、タグ化も手法自体が斬新とか効率が良いというよりは、そういった参加者をネットを通じであれば集めやすい、ということが本質なのかもしれない。

とはいえ、「タグ化だあぁぁ」と叫んでいる方々は私がすぐに思いつくような限界は先刻ご承知だろうから、前出のタグの再整理を楽にする・自動化する仕組みを色々考えているのに違いない。それらはどんな仕組みになるのだろう?

しかし、Greeでの母校統合作業を例にみても、機械的手法で完全にできているという感じはあまりしない・・・。